かつてのプレイブックはもっとシンプルだった。オンプレミスからクラウドへの移行期、やるべきことは比較的明確だった。優れたUIを作り、マルチテナンシーのアーキテクチャを活かし、継続的な改善ができるチームを組み、Go-to-Marketを実行する。このやり方が通用した時代があった。でも今は違う。求められるものが圧倒的に増えている。
では、どう変わったのか。
より複雑な問題を解け
シンプルなUIや、スプレッドシートで代替できるプロダクトは、ビジネスではない。それはただの機能だ。
自分たちはツールなのか、それともソリューションなのか ──
その答えは「ソリューション」一択であるべきだ。
製薬業界の規制の複雑さや、ヘルスケア領域における多職種間の連携のように、深い業界知識を必要とするもの。患者ケアのように保険、法規制、医師との連携を横断的にオーケストレーションしなければならないもの。建設プロジェクトマネジメントのように、ゼネコン、サブコン、検査官、資材サプライヤーを一つにまとめるもの。この世界には、多種多様な「複雑さ」が存在する。
単純なメモアプリや汎用的なプロジェクト管理ツールでは、ディフェンシブなビジネスを維持することは難しい。問題が本質的に複雑であればあるほど、ポジションは強固になる。
ハイバリューなワークフローに入り込め
「顧客のワークフローに組み込まれろ」というのは、エンタープライズソフトウェアの鉄則だ。これは正しい。ただこれからは、もう一段階深く踏み込む必要がある。
狙うべきは、ハイバリューなワークフローだ。そのワークフローが止まったら事業の継続そのものが危うくなるようなもの。関わる人や部署が多ければ多いほど、ソフトウェアを引き剥がすことが難しくなる。部門横断的なプロセスにプロダクトが組み込まれれば、スイッチングコストは自然と高まる。
複数部門の承認が必要な支払い処理ワークフローを考えてみよう。契約との照合、営業トランザクションとの検証が求められる。もしシステムが落ちたら、支払いが止まる。このくらいのクリティカリティが必要だ。
そして、顧客ごとにユニークなデータ(ほかのどこにも存在しないデータ)を扱っているなら、あなたのシステムは自然と「権威あるSystem of Record」になっていく。
権威あるSystem of Recordであれ
強いソフトウェアビジネスは、System of Recordからはじまる。組織が「なくては回らない」と感じる基盤だ。ただ、単なる記録や保管庫ではなく、「権威あるSystem of Record」になってやっとスタート地点に立てる。
- 情報の相互依存性:データ同士が複雑に結びついていて、ほかの場所での再現・維持が困難であること。
- 蓄積による価値:今日のデータだけでなく、何年にもわたって蓄積された取引や関係性が、履歴・トレンド・組織の記憶を形成する。現行データだけを移行しても、この価値は再現できない。
- ビジネスロジックの埋め込み: 重要な答えを得るために、そのシステムを通すしか方法がない状態。ここまでくれば、深いロックインが完成している。
Workdayは、まさにこれを大規模に実証している。7,500万人以上のユーザーが年間1兆件以上のトランザクションを処理し、プラットフォームには何年にもわたる従業員の履歴が蓄積されている。この蓄積されたデータが予測、コンプライアンスレポート、監査証跡を可能にしている。
さらに重要なのは、これらすべての情報が一つのプラットフォーム上で相互連携していること。人事データと財務データ、給与と福利厚生、スキルとパフォーマンス評価 ── 独立したシステムではなく、統合されたプラットフォーム内で結びついている。ある部門での変更がほかの部門のワークフローに自動的に反映される。この相互連携こそが、単なるデータの蓄積を超えた、「権威あるSystem of Record」を形成している。
ソフトウェアの「外」に価値を作れ
ディフェンシビリティは、ソフトウェアだけでは築けない。コードの外側にある価値がますます重要になっている。
- プロフェッショナルサービスとカスタマイズ:PalantirのForward Deployed Engineers(FDE)のように、顧客の現場に入り込んで、一社一社に合わせたソリューションを構築するアプローチ。
- ネットワーク効果:ユーザー同士が互いに価値を生み出す仕組み。支払う側と受け取る側の両者がプラットフォームに参加することで利用価値が高まるRampや、サプライヤーとバイヤーをマッチングするInfomartやMonotaROに代表されるマーケットプレイスの構造が、まさにこのネットワーク効果の例だ。
- Embedded Fintech: ソフトウェアの上にペイメントや金融サービスを重ねる。hacomono、SUPER STUDIO、アトミックソフトウェアのように、プラットフォーム内で取引を完結させ、そのトランザクションデータをBI、意思決定、顧客インサイトに結びつけることで、ソフトウェアだけでは生み出せない価値レイヤーを構築している。
共通するのは、テクノロジーだけに依存しないMoatを築くということだ。
情報の流れを制す
情報の流れにおいて、上流にいるかどうかが圧倒的なポジショニングを築く。
流れの真ん中にいれば、情報の入力を制御している上流のプレイヤーに簡単に置き換えられてしまうかもしれない。データが生まれるその瞬間を押さえにいけるかどうかが、分かれ目になる。
これはセールステクノロジーの領域でよく見られる。たとえば、Sequoia Capitalから資金調達を行なったDay AIは、単に会話を録音しているわけではない。CRM、ディールトラッキング、フォーキャスティングの元となる「生のインプット」を押さえている。最初のデータキャプチャを制することで、その先にあるワークフローやシステムの中核を獲得する権利を得ているのだ。
ヘルスケアでも同じロジックが働いている。米Abridge社のように、AIが医師と患者の会話を書き起こし構造化することで、臨床データをその発生源で押さえている。そのデータは診療記録、保険請求コード、治療計画へと流れていく。いったん上流を押さえれば、そこから臨床システムの中核へと拡張していくのは、自然な流れだ。
まだ「権威あるSystem of Record」を持っていないならば、データの入力を制することは、最も効果的な道の一つだと思う。
エンドツーエンドのソリューションを目指せ
持続的なディフェンシビリティのためには、エンドツーエンドのソリューションが求められる。他社のソフトウェアや外部システムに依存しながらソリューションを完成させれば、それは将来の脆弱性を抱えることに繋がる。
この時代の「問題をエンドツーエンドで解く」とは、エージェンティックな機能を組み込むこと。たとえばコーディングツールの領域では、CursorやReplitなどがすでにノンエージェンティックとエージェンティックのワークフローが一つのソリューションに統合されつつある。
カスタマーサポート領域でも、IntercomのFin AI Agentがヘルプデスクと連携して複雑なクエリを自律解決しているし、Decagonは、自然言語でワークフローを定義して、返金処理やチケット同期などのアクションまでも自動実行できるようになっている。
近い将来、ほぼすべてのビジネスソフトウェアが、エージェンティックなコンポーネントを必要とするときがくるのだと思う。
そして今、アプリケーションスタックに新しいレイヤーが生まれつつある。これを「Agentic Layer」と呼ぶ人もいれば、「System of Intelligence」と呼ぶ人もいる。名前は何であれ、System of Recordの上に位置し、明確な事業機会を表している。
このスタックの複数のレイヤーをカバーすることには、大きな利点がある。ユーザーにより近くなるし、他社のSystem of Recordの上に座ることだってできる。そして、顧客の課題を解決するためのカバー領域が広がり、より多くの価値を提供できるようになる。
経営の基盤は、むしろ今こそ重要になる
AIは個人だけでなく、組織を増幅させる。 個人の開発者やオペレーターが、AIツールを使うことで10〜20倍の生産性を発揮している。では、それが組織全体に適用されたらどうなるか……。複利効果は計り知れない。
ただし、引き続き強い組織やカルチャーは必要だ。AIはマルチプライヤーであり、マルチプライヤーは掛け合わせる対象が強くなければ意味がない。強いカルチャー、高いパフォーマンスと士気と適応力を持つ組織、卓越したディストリビューション、セールス、カスタマーサクセス。これらは過去の遺物ではない。新しいツールからどれだけのレバレッジを引き出せるかを決める、まさにその基盤なのだ。
そして、この組織基盤自体が競争優位になる。AIの時代において、強い組織と弱い組織の差はこれまで以上に開いていく。同じAIツールを使っていても、組織の基盤が違えばアウトプットの質もスピードもまるで別物になる。
勝つのは、最も強い組織基盤を持ち、その優位性を長期にわたって複利で積み上げられる会社だ。
戦略は進化し続ける
強いソフトウェアビジネスを構築するためのハードルは、かつてないほど高くなっている。複雑な問題を解き、ハイバリューなワークフローに入り込み、権威あるSystem of Recordになり、ソフトウェアの外に価値を作り、情報の流れを制し、エンドツーエンドのソリューションを提供し、そのすべてを複利で積み上げられる組織を作る。
求められることは多いし、これからテクノロジーが進化するにつれて、さらに増えていくだろう。
しかし、逆もまた然り。ハードルを上げている同じ力が、これまでにないほど強力で、ディフェンシブルで、価値のあるビジネスを構築する機会を生み出している。より多くのことが求められるが、より多くのことを実現し、市場に届けることができる。
プレイブックはこれからも変わり続ける。それでも僕は、「顧客の課題をテクノロジーによってどう変えていくか」に常に寄り添い、戦略を適応させ続けるチームが最後は勝つのだと信じている。
だから、このフレームワークに「完成版」はない。あるのは、次のイテレーションだけなんだ。
最後に少し触れておこう
「SaaSは死んだ」「SaaSは死んでいない」
これは今にはじまった議論じゃない。モメンタムが生まれるたびに議論が活発になったり、静かになったりを繰り返してきた。この議論が多くの人にとって「考えるきっかけ」を作っているとは思う。
ただ正直に言うと、僕にとって「SaaSか、AIネイティブか」という単純な区分は意味を持たない。(恐れず言うと….. I’m tired of this discussion)本当に問われているのは、強いソフトウェアを創るための戦略が、根本から変わったことだから。
だから僕は、どう前に進んでいくかを話したい。
Let’s Go Build.
(記事の編集してくれたkobajenneに感謝)







